amazonのPrimeVideoで、映画「プレステージ」を観ました。
事前に「超面白い」と聞いていたので、ハードルは非常に高い状態で臨んだはずだったのですが、
それを裕に越えてくるくらい面白かったです。
正直、マジックと同じで、「すげー」という以外の感想があまりない、というか、それ以上の考察は唯々無粋なのかもしれませんが、
如何せん、それだけだと忘れてしまうので、何が面白かったのかを思い返しながら、書き留めたいと思います。
なお、以下は鑑賞済みを前提に話の根幹に関わるネタバレを含みますので、ご注意ください。
あらすじ・概要
(amazonPrime作品紹介より引用)
ネタバレありあらすじはこちらが大変詳細でした↓
監督/脚本は、「メメント」のクリストファー・ノーラン。
そちらは遠い昔に鑑賞したのですが、実にトリッキーな脚本で、こちらも印象深い作品でした。
如何にも同じ脚本家が書いたな、という、近似性の高い作品と言えるでしょう。
どちらかを好きな人は、間違いなくもう片方も好きだと思います。
「マジックの3つのパート」の多重構造
この映画の最大の見所は、間違いなく、冒頭に宣言される「マジックの3つのパート」を幾重にも張り巡らせた、「構成の妙」でしょう。
何でもないものを見せる。カードや鳥や或いは人。
何かを見せて、本物かどうか、観客に確かめさせる。種も仕掛けもないと。だが勿論タネはある。
その何でもない物で、驚く事をしてみせる。
種を探しても観客には分からない。実は、観客は何も見ていない。何も知りたくない。騙されていたいのだ。
だが、拍手はまだだ。消えるだけじゃ充分じゃない。それが戻らねば・・・
だからどんなマジックにも3番目がある。最も難しい。人はそれを「偉業」と呼ぶ。
まず、最大のトリックとして、ボーデンが人生を賭けた「瞬間移動トリック」が主軸となりストーリーが展開されます。
この映画の9割が、このメイントリックの「確認(Pledge)」パートだと言っても過言ではありません。
そしてクライマックスで、ボーデンが死刑執行されるという「展開(Turn)」を迎え、最後の最後には生き返る※という劇的な「偉業(Prestige)」を魅せてくれるのです。
しかし、ライバルであるアンジャーもまた、弩級のトリックを命を賭けて披露します。それが、「ボーデンを陥れる為のトリック」です。
これは、「アンジャーの瞬間移動」のことを言っているのではありません。それはそれで余りにも印象的でど派手なトリック(というか科学)ではありますが、それ自体は「確認(Pledge)」の一部でしかありません。
本命は、瞬間移動によって死ぬ瞬間をボーデンに目撃させることで彼を殺人犯に仕立て上げるという「展開(Turn)」、
そして、収監された彼の元を生きて訪れるという「偉業(Prestige)」、という構成なのは明らかです。
どちらか1つのトリックだけでも、作品としては充分成立しそうなものです。
それくらい鮮やかなトリックが、贅沢にも2つ同時に披露され、2人の主人公を互いに狙い、交錯するように放たれる。カウンターからのクロスカウンターのような怒濤の展開は、最高に胸熱です。
そして、そんな怒濤のラスト30分に至るまでの伏線の張り方が上手いのも、この映画が評価される理由の一つかと思います。
タネが明かされてみると、冒頭から終盤まで、そのトリックを匂わせる描写・台詞が山のように見せつけられていた事に気づきます。なるほど、あれも伏線、あれも暗喩(ヒント)、だったのか・・・全然分からなかった・・・と、完全敗北した気持ちにさせられるのです。
このように、
この三本柱が織りなす、「映画の全てがマジックである」という余りにも良く出来た構成こそが、この作品の最大の見所であると言えるでしょう。
SFがもたらす緊迫のサスペンス展開
ただし、この作品は決して「マジシャン同士の奇術対決」ではありません。
何故なら1点、映画というフィクション作品であることを利用した、実に狡猾な虚構が混ぜられているからです。
それは言うまでもなく、「テスラの物質転送装置」です。
途中、如何にもな偽科学とそれに踊らされる哀れな復讐鬼、と思わせておきながら、なんと作中では物質転送が「現実のこと」として実現してしまいます。
それ自体は言ってしまえばチープなSFなのですが、マジシャンを題材にした映画の中では、実に効果的な「フェイク」の機能を果たしました。即ち、視聴者はどこまでを「奇術(magic)」で説明できるのかに挑みながら、果たしてどこかからは「魔術(magic)」なのか?を見極める必要が生じたのです。
(そう言うと、なんともこれ↓っぽいですが)
すると、視聴者の立場からは全く先が読めなくなりました。
そもそも、「瞬間移動トリック」のタネなどというものは、作中でカッターがそう言っているように、通常は替え玉以外に有り得ないのです。
なので、普通に話を進めていくだけでは、視聴者は最後に「あぁ、やっぱり替え玉だったのね・・・」という無感動な溜息しか出てこなかったことでしょう。
これが、SF要素が混ぜられる事で、オーラス前の非常に威力のある「前振り」となりました。
結局全部SFなのか?と視聴者を迷わせ、五里霧中に撒いてしまいながら、最後には鮮やかな「奇術」の目明かしで鼻を明かす。
鑑賞後の「やられた」感は、この点からも生み出された物だったのでしょう。
テスラという実在人物を登場させた事も、極悪に秀逸なフェイクだったと思います。これにより、「現実」と「虚構」の境目はますます不鮮明になりました。
この様に、謎のSF要素は、先の読めないサスペンス展開を作りあげるために絶対必要なものだったのだろうと考えます。
蛇足ですが、そんなトンデモ科学に、最終的には「人がその生涯を賭けたトリック」が勝利するというのもまた、実に胸熱な結末だったのではないでしょうか。
人間の業
そんな至上のエンターテイメントに充ち満ちた作品なので、それ以上深い事を考えずに楽しかったウエーイ、で終わってしまうのが正しいのかもしれませんが、
どうしても映画を見終わった後に考えてしまわざるを得なかった事があります。
それは、「この悲劇はどこかで止められなかったのだろうか?」という物語のIFについてです。
復讐する者/される者のどちらの気持ちも分かるような気はします。
妻を殺しておきながら、自分が奪われた家族の幸せを体現しているやつの姿を見たらそりゃ赦せないでしょう。
しかし逆に、では事故を起こしてしまった者は幸せになる権利はないのか、というとそれも違うような気がします。
ましてや、この作品の肝は、「事故を誘ったのはボーデンであって、しかしボーデンではない」ということです。
普通で言えば、ボーデンが銃で指を負傷されられた時点で、復讐は手打ちにできたたのではないでしょうか。
それで本来は充分な禊ぎになるところを、もう一方の方は無駄に指を詰めさせられてしまうことになるのですから、却って要らぬ復讐心を煽ってしまう結果になってしまったように思います。
本来、理性(安定)と憎悪(エネルギー)はブレーキをかけ合う存在でなければいけないのだと思います。
それが、心が(作中では体ごと)分離してしまいどちらか一方が効かなくなると、お互いに無尽蔵にエスカレートしてしまう、という、なんとも人間の業を感じさせる神妙なストーリーでした。
終わりに
というわけで、映画「プレステージ」の感想でした。
マジック、サスペンス、SF、ミステリ、ヒューマンドラマといった様々な見方ができ、そのどれもが面白いという、映画の好みのタイプに関わらず楽しめる作品だったのではないかと思います。
巨匠クリストファー・ノーランの別の作品も、改めて観てみたいなと思いました。
「ダークナイト」なんかも、特撮が好きなわけではないので敬遠していましたが、ジャンルを超えてアリなのかもと思ったり。
また色々探すのが楽しみです。
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