映画「パルプ・フィクション」というセンスしかないナンセンス

映画評
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1994年公開の映画「パルプ・フィクション」を観ました。

監督はクエンティン・タランティーノ。当作品は当時、非常に画期的な構成で映画ファンから高い評価を受け、1994年のアカデミー賞で7部門にノミネート脚本賞を受賞、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞と、大いに話題をさらった作品のようです。

当時オリコン1位を獲得した曲中で「タランティーンぐらい レンタルしとかなきゃなんて」と謡われたことからも、その影響力の一端を垣間見る事ができるのではないでしょうか。

今回、amazonのPrimeDayでレンタル\299→\100円になっていたので、歌詞に倣ってみたみた次第です。その感想について、書き留めたいと思います。

なお、以下は鑑賞済みを前提に軽いネタバレありで記載していますので、ご注意ください。
(もし先に以下を読んでしまっても、映画を楽しむのに支障はない程度、とは思いますが。)

あらすじ・作品概要

この作品については、ストーリーのあらすじを語るのが非常に困難です。
何故なら、

・複数シーンでそれぞれ登場人物が異なり、描写しているものが異なる
・会話劇が主であり、ドラマティックな展開があるわけではない

ためです。

ネタバレ含むで復習したい場合はこちら↓などでどうぞ。

パルプ・フィクションを徹底解説!意味・テーマやあらすじまとめ | 大人のためのエンターテイメントメディアBiBi[ビビ]
1994年に公開された映画『パルプ・フィクション』。クエンティン・タランティーノが描く斬新な群像劇として世間から好評を博しました。ジョン・トラボルタやブルース・ウィリスを始めとする豪華キャストでも話題を呼び、彼らが作中で見せる様々な行動が強烈に印象に残る映画でもあります。今回はそんな『パルプ・フィクション』を取り上げ、

考察

さすが、歴年の映画ファンの観察眼にさらされてきただけあり、考察すべきことは全て下記サイトに記載されていました。本当に細かいところまでよく観てらっしゃる。よって、私からは何もありません・・・

『パルプ・フィクション』を徹底解説!タイトルの意味・ブリーフケースの中身を考察【トリビアあり】 | ciatr[シアター]
クエンティン・タランティーノ監督作『パルプ・フィクション』(1994)はアカデミー脚本賞を受賞するなど傑作として名高い作品です。鑑賞前のあなたも鑑賞後のあなたも本記事を読めば『パルプ・フィクション』通になれること間違いなし。

先駆的な発想や手法が評価された作品」というのは、後の時代から評価し直すのは大変難しいと、改めて思いました。
当時の時代背景や主流というものを知らないと、その魅力の全てを図れないのですから。

そういう意味では、作品は中古やレンタルで安くなってからではなく、公開直後にこそ観るべきだ、という意見はご尤もだなと思ったりもします。

 

さて、これで終わりでは中身がなさ過ぎなので、
以下には、この作品を語る上で決して外せない特徴を3点に絞って記載したいと思います。

特徴①「時系列シャッフル」

物語の途中から始まり、過去に遡りながらその経緯を追っていく手法を、「イン・メディアス・レス」と言うそうです。
この作品では、そこから更に派生し、「フラッシュバック」「フラッシュフォワード」といった手法が取られています。

イン・メディアス・レス - Wikipedia

映画「メメント」などにも、観られるように、時系列を遡る事自体はもはや珍しくもなくなっていますが、パルプ・フィクションにおいてはそれが非常に複雑化されています。
具体的には、視聴者が実際に目にする順を「A→B→C→D→E→F」とすると、ストーリーの本来の時系列は「B→E→A→F→C→D」となっているのです。

ラストシーンが冒頭の描写に帰結する訳でもなければ、その後の展開を中心に描きたいというわけでもない。まして、ストーリー全体をみたときに、ラストシーンがラストでなければならない重要なシーンというほどでもない。
考えるほど、何故この構成に?と首を捻らずにはいられません。

前述したように時系列シャッフル(イン・メディアス・レス)自体は2021年現在に至るまでの間にもよく使われる手法です。有名どころで言えば「BACK TO THE FUTURE」や「涼宮ハルヒの憂鬱」の様に、シリーズで時系列が前後しているものは珍しくありません。
が、単一作品内でここまでぐちゃぐちゃな構成になっているものはなかなかないのではないでしょうか。

 

それは、パルプ・フィクションが先駆者であるが故で、時代を経る中で「このくらいシャッフルする程度が一番いい」という加減が確立されてきたと言う事なのかもしれません。

特徴②「群像劇」

一人の確立した主人公にスポットを当てるのではなく、複数眼的に事象が捉えられていることも、大きな特徴の一つと言えるでしょう。こちらも別の呼び方で「グランドホテル方式」「アンサンブル・プレイ」などと呼ぶそうです。

グランドホテル方式 - Wikipedia

この作品で言うと、

(A) パンプキン、ハニー・バニー(ダイナー強盗)
(B) ヴィンセント、ジュールス(ギャングの手下2人)
(C) ヴィンセント、ミア(ギャングの手下とギャングのボスの妻)
(D) ブッチ、マーセルス(ボクサーとギャングのボス)
(E) ヴィンセント、ジュールス(ギャングの手下2人)
(F) ジュールス、パンプキン(ギャングの手下とダイナー強盗)

という6つのセクションそれぞれで、主観となる人物が変わっています。

また、ジョン・トラボルタティム・ロスサミュエル・L・ジャクソンユマ・サーマンブルース・ウィリス等と、それぞれ主役級の役者が起用されており、さながらスター・システムであることも特筆すべき事として挙げられます。

「群像劇 映画」でググると大概パルプ・フィクションが紹介されているほど、やはり先駆的な位置づけのようです。

今でこそ例を挙げるまでもなくメジャーな手法と言えますが、とはいえ、長い連載作品やシリーズ物ではなく単発作品内だけでそれをやったものは、ありきたりというには数が少なく、センスの問われる難しい手法なのかもしれませんね。

特徴③「ナンセンス」

だがしかし、そういった技術的な話ばかりでは、この映画がやけにお上品に評価されてしまう気がします。
というのも、この映画の本質は、あくまで低俗&ナンセンスであることに他ならないと思うからです。

・意味深でオサレっぽいが中身のない会話
・やたら連呼される”Mxxxxx Fxxxer”
・あまりにも低い死のハードル
・思わず目を覆いたくなるバイオレンス描写
・不倫、ドラッグという退廃

 

道徳的な教訓を得られるわけでもなければ、学術的な知識が身につくでもない、
唯々爽快なだけの低俗なエンターテイメント
この作品を語るには、それだけで充分。
理屈をこねくり回して分析し、理解した気持ちになろうなんて、それこそナンセンスなことなのかもしれません。

終わりに

というわけで、映画「パルプ・フィクション」の備忘録でした。

「先駆者こそ偉大」「オリジナルこそ素晴らしい」みたいな考え方を聞くと、いやいやそれを改良・発展させた方がクオリティ高いんだからそっちの方がいいでしょ、という話になりがちですが、
時代を変えたパワーとそのファクターについて考えることは単純に勉強になりますし、新しいものを生み出す切っ掛けにもなるんじゃないかと思います。

歴年の名作についても、今後もっと知っていきたいなと思います。

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