読書感想文:カズオ・イシグロ「日の名残り」

書評
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カズオ・イシグロの「日の名残り」を読みました。

一言で言えば、非常に美しい小説だったなと思います。
どういった点についてそう感じたのか、3つの観点から考察したので、書き残したいと思います。

 

なお以降は、読了済みであることを前提に重大なネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

カズオ・イシグロについて

詳細はWikipediaを参照、なのですが、
抜粋すると、下記のような点が特徴として挙げられるかと思います。

 

・日系イギリス人小説家
・両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、
日本語はほとんど話すことができない
・1989年に長編小説『日の名残り』で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞
・2017年にノーベル文学賞を受賞

 

この作品自体も、1930年代のイギリスを舞台にしています。
これらの点を踏まえて読むと、背景が理解しやすいと思います。

 

(1)美しい構成

まず私が美しいなと感じたのは、物語の構成です。

 

この物語は、英国人老執事のスティーブンスが休暇を取り、西部に住む元女中頭であるミス・ケントン再スカウトに行く、という大枠を基本にして語られることになります。旅行は片道六日間に及びますが、日ごとに描写される時間帯が異なります。例えば、初日は朝、二日目は昼、三日目は夜、といった具合です。
これにより、本来スティーブンスが均等に繰り返しているであろう数日間の時間が、大きな流れとし朝、昼、夜へと推移していくように感じられます。

 

一方で本作品では、旅行中の出来事よりも、スティーブンスによる過去の回想に多くの頁が使われており、最初は若かりし頃、次は成熟期といった具合に、回想の度に段々と年を重ねていき、最終的に本編の時間軸、即ち晩年に至って全てがつながる、という構成になっています。

 

また、回想されるそれぞれの時代が、イギリスの隆盛と衰退を象徴しているようにも感じられます。主たる舞台は第一次世界大戦後から第二次世界大戦後に至りますが、これは世界の主役がイギリスからアメリカに移っていったことと重なります。そう思えば、旅の初日の景色が「古き良きイギリスの田園風景」から始まっていることも象徴的です。

 

このように、

・旅行における時間の描写(朝~夜)
・執事スティーブンスらの人生の明暗(若~老)
・イギリスの隆盛から衰退(英~米)

という三層の時間表現が、折り重なりグラデーションしながら物語が進んでいく構成になっているのです。それぞれの要因がそれぞれの象徴となることで、例えば夕方の描写が人生の黄昏、将又国家の斜陽を表現することになり、一つの表現がより意味深いものになります。

 

また、描写する時代が入り乱れ、どの時代の話なのか正直少し読みづらいのですが、それが逆に読者に時間を意識させることに成功しています。このある意味不親切な描写が、読者にとって今がどの時間帯であるかを意識させる親切な誘導となり、「時間のグラデーション」が鮮明に感じられるようになっています。

 

単純に物語が展開するのではなく、幾重にも意味合いが層になっていくこの構成は、大変美しいなと思わざるを得ませんでした。

 

(2)静かな文体

2点目は、静かな文体です。

 

例えば、現代小説では当たり前のように多用される「!」(エクスクラメーション・マーク)ですが、この小説にはそれがほとんど見られません。宴会で酔っ払いどもが声を上げるシーンがあるのですが、そこくらいではなかったでしょうか。事、主人公においてはゼロだと思います。怒りや諍いの描写はあるのですが、それさえも理性的で穏やか、故に大変落ち着いた雰囲気の文体なのです。

 

また、静かであることは文体のみならず、展開においても同様です。この物語中には、劇的な変化の描写があまりありません。例えば唐突に事故に遭ったり、雷に打たれたように真理を悟ったり、ということはないのです。スティーブンスの尊敬する父は、老いにより徐々に体が弱っていき、余命を危ぶまれながら脳卒中になり死亡します。ラストシーンでスティーブンスは、「人間同士の温かみ」こそが人生を彩る重要なものだと気づきますが、それは彼の何十年と言う人生の中で生まれ、培われ、時に否定されて尚生き残ったものが表面化したものです。全ては大きな時間の中で、予兆と予感を感じさせながら、ゆっくりと、淡々と、そして必然的にそれに至ります。それが読者に、ゆっくりと確実に過ぎる時間を想起させ、読者に登場人物たちの何十年間という長さを知らしめるのです。

 

(3)過ぎ去った「人生」の見つめ方

この作品の美しい点、3点目は、作品テーマとも言うべき「人生」の見つめ方です。

 

中盤まで、この作品のテーマは「品格とは何か」を語ることなのかと思っていました。スティーブンスの父が品格に満ち溢れた執事だったこと、最高の品格とは何か、最高の執事とは何か、そういったことをスティーブンスが考察し、それに準じた回想に入る形式で、彼が如何に執事としてプロフェッショナルだったかが主として語られるためです。ひいてはそれは、イギリス人が如何に理性的であり執事として優れているか、ということに帰結するのかなと思っていました。

 

勿論それも一つのテーマではあったでしょう。しかし、晩年のスティーブンスは旅路の果てで、ミス・ケントンの述懐により、品格に固執した自らの人生を後悔するという、起承転結の「転」を迎えます。最高の執事だった父親への尊敬、「車輪の中心」と信奉するダーリントン卿への忠誠、それらを貫き通すため、スティーブンスは感情の抑制に終始するあまり、本来自分が望んでいた生き方、例えば「おセンチな恋愛」といった欲求を封じ込めて生き、その結果ミス・ケントンをはじめ、様々なものを失ってきたことに気づくのでした。やがて、彼は老いと衰えを自覚する年になります。そしてそれを象徴する、宵闇が迫る時間の流れ。そんな「夕方」を迎えた彼は、自らの目の前広がる「虚無」に絶望し、手元にも己が内にも何もないことを嘆き、自身の生き方を「過ちだった」と涙するのです。

 

それはつまり、「イギリス人の特異な『品格』こそが人間にとって最高なのだ」という価値観の否定です。感情を抑制し、人間らしい欲求を犠牲にする人生を、この作品は是としていないということになります。

 

では何がスティーブンスを救ったのか。それは「人間同士の温かみ」なのでした。

 

なぜ「夕方こそ一日で一番いい時間」なのか

以上3点を踏まえて、この作品で最も印象的なセリフについて考えてみましょう。

 

「夕方こそ一日で一番いい時間だ」

 

「時間」の描き方で様々な物を語る本作品において、この言葉は特別な意味を持つように思います。

 

夕方、それは即ち斜陽黄昏。晩年に人生を振り返り、その先に待っているのは夜という闇。自らの人生を後悔し涙したスティーブンスは、それでも前述の「夕方こそ一日で一番いい時間だ」言葉と、辺りの美しい情景を目にする事で救われます。その情景とは、宵闇に電球が感動的なまでに美しく灯り、それに人々が感嘆の声を上げる、というものです。

 

「電球」とは何を示唆するものなのか、それこそが、「人間同士の温かみ」であると考えます。
それを結びつけるジョークの技術=相手を楽しませたいという思い、そして相手を楽しませたいという思いで言葉を返すやりとり。スティーブンスは元来それを苦手としていましたが、旅の道中においてもそれを特訓する姿勢を見せていますし、また巻末では、現主人であるファラディにジョークで応えたい、と締めくくっています。そして人生を後悔し涙するスティーブンスに、隣に座り話しかけた男は、「ハンカチがいるかね?けっこうきれいだよ。朝のうちに一度鼻をかんだだけだ」というジョークで彼を慰めるのです。

 

感情を抑制し人間味を封じ込めてきたスティーブンスにとって、ジョークは人と人をつなぐ「温かみ」であり、それは迫る夜に明かりを灯すものだったのです。「人間同士の温かみ」が最も美しく輝き、「今晩何が自分たちを待ち受けているだろうかという、その期待感」を抱かせるからこそ、夕方こそが一番いい時間だ、という価値観に帰結できるのでしょう。

 

それらを考えたとき、この作品は、「後悔に染まるようなことがあっても、誰かが貴方を助けてくれるよ」と言ってくれるように思います。

 

終わりに

以上、ノーベル賞作家の代表作の読書感想文でした。

 

「如何にもな文学」という本を読んだのは結構久しぶりだったのですが、現代風エンターテイメント小説とは一風異なる、これまで書いて来たように兎角「美しい小説だな」と感じました。とても清々しい清涼感が読後に感じられます。

 

私の人生はまだ夕方と言えるほど経っていません。(そう思いたい)。ので、「夕方こそ一日で一番いい時間」という価値観は、実はそこまで共感できていません。

 

しかし、私はこの作品を、「最後は人間関係が人を救う」という先人のメッセージだと受け取りました。それには素直に耳を傾けられる自分でありたいなと思います。

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