映画ガリレオシリーズ9年ぶりの新作「沈黙のパレード」が2022年公開、というニュースがありました。
私的に、ごく最近見た「容疑者Xの献身」が大変面白かったので、新作も大いに期待しているところであります。
また今回、それの予習として、映画の2作目である「真夏の方程式」をamazon PrimeVideoで視聴しました。これもなかなかに面白かったです。
来年の新作を観る際に思い出せるよう、感想を書き留めたいと思います。
以下には、鑑賞済みを前提に、ストーリーの根幹に関わるネタバレを含みますので、ご注意ください。
(※私は原作小説は未読です。以降は全て、映画版視聴のみでの状態での記載となります。)
尤も個人的には、寧ろ一度考察等を読んでからの方が楽しめる作品ではないかな、と思ったりしますが。
あらすじ・概要
(東宝によるあらすじより引用)
ミステリとしての評価
まずミステリとしての評価ですが、これは「ミステリではない」と言うのが正しい気がします。
というのも、題材は確かにミステリらしく様々な謎があるのですが、演出からして「解かせる」気がさらさら感じられないためです。
この作品をミステリとして考えた時、その背骨(ホワイ・ダニット)は、
という点になるでしょう。
具体的に言うと、
(2) 人を殺せる真の密室を作るためには、窓を閉めるだけではなく、煙突を塞ぐ必要がある
(3) しかし真犯人である宿屋の主人は足が悪く、煙突に登れない
(4) そこで、まさかの少年に片棒を担がせることで、それを解決する
(5) こうすることで事故死(と死体遺棄)に見せかけ、殺人罪を逃れる、という計画
という点こそが、不可能が可能に変わるポイントであり、視聴者の心理的盲点を突いた鮮やかなトリック、ということになるはずです。
しかし映画では、この問題提示・解決に至るまでの描写がほとんどないのです。
捜査は、教授と少年がペットボトルロケットを飛ばしている間にいつの間にか進み、唐突に一言さらりと「一酸化炭素が溜まる状況を再現できない」と言われたかと思えば、煙突を塞ぐ必要があること・宿屋の主人では登れないことが、解決編に突入してから怒涛の如く明かされてくるのです。
要するに、問題編において、視聴者には(1)しか提示されないのです。
それが果たしてミステリと呼べるのか、という話です。
寧ろ、作中でメインストーリーとしてスポットが当たられていたのは、「16年前の殺人の真犯人は誰だったのか」という点でした。これは、ミステリではなくサスペンスの領域だと思います。視聴者には推理のしようがないのですから。
それさえも、オープニングの思わせぶりな少女の映像、存在意義のなさすぎる成実(杏)を見れば、「絶対犯人こいつやん・・・」と分かってしまうのですが。
いずれにせよ、「これはミステリではない」というのが私の感想です。
「真夏の方程式」の意味
フー・ダニットやハウ・ダニットを解かせることが主たる目的ではないとしたら、
ではこの映画は、何のための物語だったのでしょうか。
私は、そのタイトルにある通り、「方程式」を解かせることこそを核にしている作品である、と感じました。
そもそも「方程式」の意味を調べると、
とあります。
この作品においては、2の「決まったやり方」を意味するのであろうことは想像に難くないでしょう。
では「決まったやり方」とは何でしょうか?
私はこれを、構造的に繰り返される「排除行動」であると考えました。
具体的には、この作品では、各登場人物の下記の様な行動が見られます。
⇔資源開発が進められる
→海を守りたいという思いが反発し、開発チームを排除する運動が行われる
⇔刑事が宿までやってきた(15年前の事件について嗅ぎまわっている?)
→娘を守りたいという思いが暴走し、刑事を殺してしまう
⇔宿屋の主人による計画殺人が密かに進行する
→言われるがままに煙突をダンボールで塞ぐことで、殺人の片棒を担がされてしまう
これらを数式っぽく抽象化すると、
という構造が見て取れます。
或いは、もっとシンプルに、こうしてもいいかもしれません。
これがタイトルの「方程式」の示唆するものではないか、と思うのです。
作中で、「全てを知った上で、自分の進むべき道を決めるために」という決めフレーズがありますが、これは「方程式を解いて前に進むためには、知らなければならない。だから隠すな、知ろうとする態度を崩すな。」という意味合いに感じられます。
即ち、無知や秘密をそのままにしようとするといい結果をもたらさないぞ、というテーマなのかと。
そう思うと、ガリレオ先生とは「知ろうとしない」態度とは象徴的に真逆にある存在、と言えます。何しろ教授ですから。
これは彼が、「方程式を壊していく存在」、つまり悲劇の連鎖を断ち切る立場にいることの暗喩に繋がるのではないかと考えられます。
このように、「幾重にも重なった悲劇の連鎖の構造を見つけ出し、解決方法を考えること」が作品のテーマなのではないかと思います。
そう思うと、なおさらミステリというカテゴリには収まりませんね。もはや一種の哲学、或いは思考実験の様にさえ感じます。
それくらい深いテーマを感じさせる、ヘビーな作品でした。
(えっ、「真夏」はどこから来たのかって?夏の海が舞台だったからじゃないですか?)
総評
まとめますと、「これはミステリではなく、無知であることへの警鐘をテーマとした哲学的な作品である」と言えるかと思います。
それもあって、娯楽作品として見るにはなかなか重たい作品でした。
途中、楽しい科学実験・ペットボトルロケットのシーンがやたら長かったのは、それとのバランスなのかと思います。
「重たい作品」と思ってしまう理由は他にもありまして、
なんといっても登場人物のほとんどが「あたおか」過ぎるんですよねぇ・・・
誰にも共感できないという状況は、果たしてどうだったのか。その点は、まだ心情的には共感できた「容疑者Xの献身」とは異なる点でした。
特に、最後のやつは絶対アカンでしょう・・・子供に影を背負わす作品は幸せになれませんよ 。゚(゚´Д`゚)゜。
終わりに
ということで、映画「真夏の方程式」の考察というか感想でした。
東野圭吾の作品は、ヘビーなものが多いんだな・・・と改めて感じました。
小説では「手紙」なんて、読んだあと暫く落ち込むくらいでしたし、「容疑者Xの献身」も悲しいお話でしたしねぇ。
けどとても面白かったです。来年公開の「沈黙のパレード」も楽しみに待ちたいと思います。
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