劇団四季の「オペラ座の怪人」は何が凄いのか?を検証してきた

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劇団四季の「オペラ座の怪人」を観てきました。

ミュージカル『オペラ座の怪人』作品紹介 | 劇団四季【公式サイト】
オペラ座の地下深くに棲む“オペラ座の怪人”と歌姫クリスティーヌの悲哀を美しく厳かに描いた劇団四季ミュージカル『オペラ座の怪人』。甘美な旋律にのせて、豪華絢爛なオペラ座を舞台に繰り広げられる世界でもっとも切ない恋とは。

劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい。」のキャッチコピーの通り、素晴らしく引き込まれる舞台でした。
が、元々はシナリオも音楽もあるお題目、「劇団四季らしさ」とはなんだったのか?という点は素人が初見した程度では分かりませんでした。

【劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい!!】の魅力に迫る!!|エントピ[Entertainment Topics]
劇団四季の代表作の1つである『オペラ座の怪人』も日本初演から早27年。『オペラ座の怪人』は世界中で上演され、映画化もされ、その人気は止まる所を知りません。劇団四季の『オペラ座の怪人』もロングランを続けていますが、人は劇団四季の『オペラ座の怪人』のどこにそんなに魅了されているのでしょうか?その秘密に迫ります。

こちら↑に「凄いところ」が書いてあるのですが、劇団の実力については分かるのですが、では他の劇団との違いは?というのはあまり書いてなかったんですよね。

ので、元祖とも言うべきウェバー監修のミュージカル「ロンドン版」の映画公開版、そしてミュージカル作品ではない映画版も確認し、「四季ならではの演出」はあったのかを検証してみました。

オペラ座の怪人は既に世界的に有名な作品と言う事もあり、以下はストーリーを理解している事を前提に、具体的な演出などの描写を含みますので、まだ知りたくない方はご注意ください。

舞台版と映画版との違い

まず「映画版」とは、1943年公開の下記作品を指します。

何故これを選んだのかって?amazon Prime Videoでタダで観れたからです( ´_ゝ`)b
他にも、1925年公開のサイレント映画もあったりしますが、さすがにそちらはよかろうと未視聴です。

大きく異なる点

さて、この映画版と舞台版(劇団四季版)、何が違うかと言えば、もう全部違う。笑
具体的には、音楽、ストーリー、作中オペラの題目、殺害される人物、ファントムの正体、結末、等々、もはや全く別物と言っていいでしょう。舞台版の代わりと思って観るとえらいことになります。

特に、下記の3点が異なるという点が非常に大きく、映画版を舞台版と別物たらしめていると感じます。

(1)音楽がウェバーのものではない(クラシック曲のアレンジなどが使われている)
(2)ファントムに幽霊要素がなく、唯の人間として描かれている(クリスティーヌの父親)
(3)クリスティーヌはファントムに恋慕も恩義も感じていない(ラブロマンス要素がない)

他にも、
・映画版ではラウルは恋人ではなく、追っかけのような存在。幼馴染みの子爵ではなく警部
・クリスティーヌのレッスンをしているのは普通に人間の先生。ファントムはその教育費を払っているだけ
など、舞台版を知っていると「ギャグ?」思ってしまうような点が多々あります。

共通する点

一方、数少ない共通点ではありますが、他の作品とも共通する部分、裏設定として引き継がれていると思われる部分もあります。

(1)クリスティーヌの父親は、オペラ座の楽団のバイオリニストである
→舞台版では、ストーリーに関係しない端役のセリフとして一言だけさらっと出てくるものですが、映画版においては核心的な意味を持つ設定です。
舞台版ではファントムとこのバイオリン奏者は明らかな別人として描かれているため、個人的には、舞台化にあたっては旧作品へのオマージュとして設定のみ残されたのではないかと思います。

 

(2)シャンデリアが落下する

→「オペラ座の怪人」を象徴するマストアイテムとして描かれているシャンデリアは、関連作品数多しと言えど、基本的にどの作品でも事件性を持って扱われるようです。そもそもこのシャンデリアの落下は、1896年5月20日にパリのオペラ・ガルニエで実際に起こった事件らしいですから、“曰くつき”の演出として欠かせないのでしょう。

※ただし、劇団四季版では舞台に向かって落ちますが、映画版では客席に落ちるという違いはあります。お客さんに罪はないやろ・・・と言いたいところですが、よくよく考えれば確かに、普通は建物の真ん中に明かりが吊り下がっているであろうことを思えば、下は客席なんですよね・・・
舞台演出という「綺麗な嘘」ということでしょうか。

 

(3)ファントムの根城である地下の水路、地下水湖

→このあたりは、シャンデリアと同じく、ガストン・ルルーの原作から引き継がれる「オペラ座」が「オペラ座」たるためのキー設定ということなのでしょうね。
舞台版はやや唐突に湖が出てくるので、あらすじを知らずに見ると「??」となりそうですが、その点映画版では、下水の先にある地下水湖を根城にしていることが非常に分かり易いです。

 

まとめ

こうして全く別物と言える作品との比較を通じて、今世に「オペラ座の怪人」として認識されている作品像は、ほぼアンドリュー・ロイド・ウェバーによる舞台版のものである、と言ってよさそうです。
映画版はかなり現実路線で、ファントムを「平凡な人間」として描き、ファントムの愛情を「親子愛」と説明できるものとしたのに対し、舞台版は様式美を追求し、ファントム、クリスティーヌのどちらの感情も、しっかりとした理由付けのできない、不安定なものとして描かれています。例えばクリスティーヌは、最終的にはラウルを選んでもファントムについていってもおかしく無い危うい感情の揺れ、即ち「正体不明」の怪しさに惹かれる心模様として複雑化・昇華されたものなのだと感じました。

 

劇団四季版とロンドン版との違い

概要

「オペラ座の怪人」は、原作はフランスの小説ですが、ミュージカルとしてはイギリス(ロンドン)生まれのものと言えます。それは、音楽担当のアンドリュー・ロイド・ウェバーの出身地、および舞台初公演の地がいずれもロンドンであるためです。
そういう意味でも「オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン」という映像作品は、世の中に「オペラ座」として認知されている形のミュージカル作品の原典であり集大成、そして金字塔的な作品でもあると言っていいのではないでしょうか。

ちなみに、初回公演の主演クリスティーヌ役は、日本の紅白歌合戦にも出演したことのあるサラ・ブライトマン。上記の映像作品のカーテンコールにも特別出演しています。

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Wikipediaによると、オペラ座の怪人を舞台化するにあたり、クリスティーヌという役自体が彼女(サラ・ブライトマン)のために作られたものであり、ウェバーは当時妻であり無名の俳優だった彼女のために、ブロードウェイ俳優協会の反発を押し切って彼女をクリスティーヌ役に起用したのだとか。正にクリスティーヌとファントムの関係そのもの。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものです。
なお、後年、離婚されたとのこと。ファントムぇ・・・

今回の考察にあたっては、上記の作品を劇団四季との比較対象としています。

 

ちなみに、劇団四季版は下記のキャスティングの日に観てきました。

 

共通する点

さて、劇団四季版においては、ほぼ完全にこのロンドン版を踏襲する形になっています。
具体的には、音楽、ストーリー展開、セリフの内容、役名、演出、小道具、舞台転換の仕方に至るまで、ほぼ全く同じです。「コピー」と言っても差し支えないでしょう。
あまりに同じすぎて、ここまで同じと言うことは、「台詞・演出を理由なく変更しないように」という契約で版権を四季が買っているのかと推察されるほどです。
それくらいオリジナルの完成度が高いということなのか、オリジナルの作成者のプライドが高いということなのか。

なので、その中でも異なっている演出があるとしたら、それこそが「劇団四季らしさ」である可能性が高いと言えます。以下にその数少ない相違点を記載したいと思います。
(正確には、ロンドン以外の世界中至る所で公演しているものと共通する演出だったりするのかもしれませんが、キリがないのでここでは考慮しないこととしています。)

 

全体的な違い

(1)歌詞が日本語
→当たり前と言えば当たり前ですが、非常に重要なポイントでもあると思います。
何しろ原作は英語で譜割がかっちりと決まっているものなので、そこに日本語を当てるのはかなり無理があったりするからです。歌詞が直情すぎて深みがなかったり、言葉が妙なところで伸ばされてたり。普通に聞いていて違和感があるのです。

 

唯でさえ音節の少ない原曲に訳詞をつけるのはさぞかし大変な作業だっただろうなぁとは思いますが、とはいえ、やはりオリジナルの英詞の方がしっくりくるところではありました。特にメインテーマは圧倒的に英詞こそ至高。

 

逆に日本語版として凄くしっくりきたのは、『Past the point of no return~♩』を『もう引き返せない~♩』としていたところでしょうか。これは意味も音もばっちりハマった、お見事な訳詞でした。

 

(2)背景にスクリーンを使用していない
→これが最も大きな違いの一つと言えるのではないでしょうか。
正直、スクリーンの方が予算がかかるのか分かりませんが、あらゆる背景に対応できるし舞台の切り替えもスムースになるので、採用されやすい選択肢なのではないかと思います。
しかし劇団四季においてはスクリーンは一切使用されず、あらゆる場面において美術班が作ったのであろう巨大なオブジェが聳え立っていました。このことにより舞台に奥行きが出ており、非常に世界観に引き込まれました。これぞ演劇!と言う体験型エンターテイメントだと思います。

個人的に特に良かったのは、

①ファントム初登場の楽屋のシーン
→ ロンドン版は普通に広々とした空間でやりとりしていたのですが、仕切りで小部屋を作る事で密室の閉塞感があり、そこからぬっと現れるファントムはかなり怖かったです。

②地下水路の格子
→ ロンドン版では格子自体がありませんでした。格子の存在により地下の牢獄感が増し増しになっており、凄みがありました。しかもラストシーンでは、追っ手がその格子を伝って降りてくる事で、水路の上から降りて来た演出になっている点が素晴らしすぎました。

 

(3)特効が弱い

→これは規模が違うので当然と言うか、仕方のないことですが・・・
ファントムが墓地に火を放つシーン、ロンドン版では火柱がボンボン上がっており迫力がありました。そこまで望むべくもないのは当然なのですが、劇団四季版はさすがに火花が小さすぎてショボいと言わざるを得ませんでした・・・
コンビニで買ってきた花火くらいの火力しか出せないファントムさんぇ・・・

 

シーン毎の演出の違い

(4)「幽霊」を指すジェスチャー

→小ネタのひとつ。あの「鼻がデカい」みたいなジェスチャーは日本用なのでしょうか?どう考えても天狗にしか見えず笑、どうして敢えてこれを入れた?と腑に落ちない点でした。

 

(5)手紙が届くシーンでのドアの開閉

→これも細かい話ですが、ファントムからの手紙が届くシーンで、メロディーの節頭の印象的なフレーズに合わせ、黒い壁からドアの明かりが漏れる演出が視覚的にとても美しかったです。ロンドン版では普通に袖から出てくるだけだったので、これはナイスアイデアだなと思いました。

 

(6)ファントムの影

→ロンドン版では実際にファントムとジョセフ・ブーケが天井に上り、首を絞められる演技を見せていましたが、劇団四季においてはバレエの背景にファントムの影が踊り、その後いきなり死体が上から落ちてくるような演出になっていました。
単に会場の都合で、屋根裏を演出するステップがなかったからかもしれません。が、より唐突に死体が出てくることで驚きと恐怖が煽られ、結果、オリジナルより全然いい演出になっていたと思います。

近い演出として、映画版でもファントムの影だけが見えるというシーンがありました。劇団四季のオリジナルのアイデアなのか、或いは映画版へのオマージュなのか。

 

(7)カエルの声が別録り音源(と思われる)

→ファントムの神通力?でカルロッタがカエルの様な声にされ恥をかかされる、というシーン。
ロンドン版では演者の方が自力でカエルっぽい声を出していました。それはそれで頑張っている感がありましたが、正直、出来はあんまり。
ならば潔く録音データを使った劇団四季の方が、「魔法で変えてやった感」があってよかったと思ったりしました。
(※私には別録音源に聞こえたのですが、違ったらごめんなさい。そうだとしたら、演者さん超すごい。)

 

(8)シャンデリアが落ちる!

→意外な点として、ロンドン版はシャンデリアが落ちないのです。バチバチと火花が散るという演出はあり、それはそれで迫力があるのですが、シャンデリアは天井高く吊されたまま。おそらくシャンデリアを無茶苦茶豪華にしたがために、自由に動かせなかったのではないかと。
一方劇団四季では、規模の小ささを逆手に取り、ダイナミックにシャンデリアが落下してきます。この派手で観衆の期待を裏切らない演出は、本公演で最大の「見せ場」と言っていいのではないでしょうか。

 

(9)シャンデリアに乗る怪人

→ラウルとクリスティーヌが屋上で愛を謳うシーン。ロンドン版ではファントムは屋根に隠れ潜んでいるだけでしたが、劇団四季版ではなんとシャンデリアの上に乗り、そこから突然姿を現してきました。意外性と異常性、またファントムがシャンデリアを落とす必然性にもつながり、素晴らしい改変だと思いました。

 

(10)仮面舞踏会で、あまり仮面をつけてない笑

→小ネタ。やっぱり演者さんは顔を見せたいんですかね?ロンドン版でもちらほら仮面をつけていない人はいましたが、劇団四季版でさすがに半分もつけてないのは笑いました。どこが仮面舞踏会やねんと。

 

(11)ピアンギが殺されるシーン

→劇中オペラ『ドンファンの勝利』中にピアンギがファントムに殺害されるシーン。ロンドン版では首吊りという演出でしたが、これは正直、ジョセフ・ブーケの二番煎じ感が否めずイマイチでした。一方、劇団四季では椅子から仰向けにずり落ちるというセンセーショナルな死に様に。ぱっと見で事件性があり普通に怖い。これはナイス演出だと思いました。

 

(12)カーテンコールの人数が相当少ない

→ロンドン版においても配役数は同じなので、単純にバックダンサーの数や、兼任の数の違いからと思われますが、劇団四季の方が圧倒的に人数が少ないです。おそらく半分以下?
それで迫力がないというわけではなく、私は素直に感心しました。というのも、コンパクト化するのには、衣装替えやメイク替えなど、様々な工夫があるんだろうなあと思うためです。そういうのは観ていて感動しますね。

 

まとめ

以上、だいぶピンポイントに挙げていきましたが、逆にいえばそれ以外の大筋では本当に違いがないんですよねぇ。

結局、「劇団四季は何が凄かったの?」と言われれば、原作に忠実に従い、且つ予算の制約を受けながら、所々でオリジナルを超えるダイナミックな演出を加えてきている点、と言うのが、私の検証の答えでしょうか。
一番派手なところを挙げるならば、「シャンデリアが落ちる事」ですかね。いやー、皆の期待に応えるのは大事な事ですよ。やっぱりシャンデリアは落ちないと、うんうん。

 

おまけ:「金田一少年の事件簿」との違い

概要

と、映画版舞台版(劇団四季版とロンドン版)について書いてきましたが、忘れてはならない、全日本人の胸の中にあるもう一つの「オペラ座の怪人」、それは「金田一版」ではないでしょうか。笑

ご存じ「金田一少年の事件簿」では、記念すべき最初の事件こそが正に「オペラ座館の殺人」。それ以降も連載が節目を迎える度に新たな事件として度々登場し、既に4回も題材として扱われています。スピンオフを入れればもっと。作者さん、大好きなんでしょうねぇ。

日本で生まれ育った人のほとんどは、この漫画によってオペラ座を知るのではないかと思いますが、すると逆に舞台版を観て「おや?」と思うところもあるでしょう。
おまけとして、そんな「金田一版」との相違点についても記載しておこうと思います。

相違点

(1)仮面は顔半分しかない
→漫画版ではフルフェイスに近いマスクがファントムのトレードマークなのですが、舞台版・映画版においてはマスクは顔の右側しか覆っていません。俳優さんの顔が見えなくなっちゃいますからねぇ。
金田一ファンとしては、「顔が半分見えてたら、犯人モロバレだろうが!」と叫びたくなるところでしょうが。

 

(2)シャンデリアで人は死なない

→金田一版においては、「シャンデリアで人が死んでからが事件の始まり」みたいなお約束感がありますが、舞台版においてはシャンデリアは落ちても人は死にません。これはガストン・ルルーの原作でもそうらしいです。劇団四季版ではカルロッタは舞台袖に避けますし、ロンドン版ではそもそも落ちてきません。

人が死ぬのは、金田一版のオリジナル演出なのでしょうか?一番の勘違いポイントなので、少し前の私のように、「『オペラ座の怪人』?知ってる知ってる、シャンデリアが落ちてきて人が死ぬんだよね」などと嘯くと、「こいつ、金田一で読んだだけだな」と浅学がバレます。

 

(3)ボウガンの出番はない

→犯人が最後の殺人、および自死のために使用する、とてつもなくインパクトの強い道具ですが、舞台版においてはボウガンのボの字も出てきません。ファントムはおろか彼を追う側の人間も、ボウガンよりも殺傷力の高い拳銃とかを普通に使っていますそんな旧兵器はお呼びではないのです。

「布施先輩がわざわざ家から持ってきてくれたんだよ」とありましたが、果たしてどこの場面で使う予定だったんでしょうか・・・?

 

終わりに

ということで、「オペラ座の怪人」の横比べでした。

色々観てみて改めて思ったのは、「音楽の力ってすごい!」ということ。
やはりウェバーのメインテーマ「The phantom of the opera」があってこその「オペラ座の怪人」だなと、映画版を見て痛切に感じました。ジャーン、ジャジャジャジャジャーンだけでテンション上がりますもんねぇ。
ロンドン公演のサントラもあるので超お勧めです。サントラをかけながら金田一版を読むと臨場感ヤバい。笑

ガストン・ルルーの原作は遠い昔に読んだのですが・・・改めては読み返せてません(– – ;
今後読み返す機会があったら、この記事に追記するのも面白そうですね。

蛇足

公演後にガチャ(シークレットチャーム)を引いたら、ファントムさんキターヽ(゚∀゚ )ノイヤッフゥ! 鞄につけよっ。

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