2021年6月12日、「松本人志、民放20年ぶり新作コント」を冠したTV番組「キングオブコントの会」が放送されました。
内容が面白かったのは勿論なのですが、松本人志を筆頭に大御所から若手まで幅広い才能の集まることで、未だ嘗てないネタのバリエーションが溢れた3時間だったと感じました。
それについて自分の考えを整理し、書き留めたいと思います。
なお、以下には鑑賞済みを前提に大いにコントのネタバレを含みますので、ご注意ください。
(というか、内容を知らずに読んでも1mmも面白くありません)
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番組概要
この番組の目玉は何と言っても、「松本人志、民放20年ぶり新作コント」でしょう。
2011~12年にNHKで『松本人志のコントMHK』というコント番組が放送されているため、「民放としては」という但し書きがついていますが、既に地位も資産も確立し、「審査員長」的な立場にいる彼が新作コントを書き下ろすというのは、やはり大きなインパクトをもたらしました。
一方で、出演者について、前年王者のジャルジャルを始め、歴代のウィナーが出ていなかったり、
優勝していないのに出ている芸人が多数いることに、邪推する記事があったりもしました。
ただ、番組の主旨は「歴代王者を紹介する会」ではないので、単純に、松本人志(もしくはその側近?)が一緒にコントをやってみたいと思った人が呼ばれた、ということなのではないかと。そう思えば、別段違和感はありませんでした。
ジャルジャルもどぶろっくも、コラボするには独自色が強いですからねぇ。こういったスペシャル番組の1発目で見送られるのは、番組制作側からすれば順当だったのでは。
ネタは全21本(ショート9本、長尺12本)。長尺については主となるライター的な芸人を立てながらも、世代を問わず様々な芸人が参加するという形態をとっていました。
・舞台監督(ハナコ)
・壁(バイきんぐ)
・キャンプ(シソンヌ?)
・小さな疑い(ジャングルポケット)
・おめでとう(松本人志)
・ファクトリークルーズ(チョコレートプラネット)
・バスジャック(ライス)
・仁義なきマジシャン(ロッチ、バナナマン)
・お昼の生放送(ロバート)
・クリーニング店(さらば青春の光)
・クイズ番組(東京03)
・管理人(松本人志)
ここまで様々な世代のライターの作品が一堂に集まる事は非常に珍しいと感じました。
そして面白い事に、それぞれが非常に特徴的な構成をしており、世代毎の色がくっきりと浮かび上がっていたのです。
ここからは、特に顕著に感じた特徴について書いていきます。
バナナマン(1993年結成、第4世代)
(※ライターはバイきんぐのようですが、バナナマンに合わせて作ったように思えたため、ここではバナナマンを主に記載します。)
(「仁義なきマジシャン」も前半はロッチ主体だが、後半はバナナマンが主と思っています。)
バナナマンの世代の特徴は、「映像的な笑い」だと考えます。
それは言い換えれば、「一目で面白い」「誰が見ても笑いどころが分かる」「体を張った笑い」「出オチ」ということでもあります。
今回のコントでは、おっさん2人が密着しながら和やかに会話をするという滑稽さ、その二人を足蹴にして人が通り越していったり、ラーメンぶっかけたり、ローション塗れになったりと、笑いどころが非常に明確です。
一応ストーリーやオチはありますが、それらに強い繋がりや意味はありません。例えば、冒頭30秒とオチだけを見て間を飛ばしたとしても、コントから受ける印象は変わらないでしょう。
これは所謂「テレビ的な笑い」と言い換える事も出来るでしょう。
老若男女、知識の有無、お笑い番組の経験値に関わらず、誰もが面白いと思える(少なくとも、「ここで笑わせたいのだろうな」ということが明確な)もの。もっと言えば、コントの途中からチャンネルを変えて見始めた視聴者であっても、すぐに内容にキャッチアップできるものです。
バナナマンは正にテレビ黄金期の芸人。テレビで生まれテレビに生きた世代らしいスタイルだなと感じました。
一方でバイきんぐは比較的現代寄りの、ツッコミのフレーズで笑いを取るタイプだと思います。
映像的な笑いと言葉の笑いがハイブリッドされ、より全方位的に魅せる内容に強化されていたのではと感じました。
ロバート(1998年結成、第5世代)
一方でロバートの世代は、万人への訴求力という点ではバナナマン世代には劣ります。
代わりに、ターゲットを絞ることでよりマニアックで大きな笑いを狙っていると言えます。
私はこれを「個性・タレント性による笑い」と捉えています。
このネタは前提として、「内輪ネタで盛り上がる出演者の滑稽さ」の特徴を捉えて脚本に落とした上で、「暴走する司会者」「それを止められないディレクター」をそれぞれ演じきる力が必要です。
前述のバナナマンの「そこにその状況があるだけで面白い」というものではなく、誰が演じるか、どのように演じるか、が非常に重要なファクターとなってきます。
特に、山本の「必死なのに弱いツッコミ」はこのネタの屋台骨とも言えるでしょう。しっかり声を張っているのに秋山の存在感を邪魔しない、この無力感・薄幸感こそが絶妙なバランス関係を保ち、秋山の勢いを際立たせているのです。
故に、同じネタを他の誰かがやっても面白いとは限りません。例えばこの役がバイきんぐ小峠に変わったとしたら、影響力が大きすぎ、秋山の暴走は視聴者に許容され難くなってしまうのではないかと思います。
このようにロバートのコントは、パロディの質の高さ、演者の才能をフルに発揮するための場所となっています。
彼らがネタ番組に留まらず、バラエティやCMなどにも引っ張りだこな理由は、こういったところから来ているのではないでしょうか。
それは、同じ「はねトビ」のドランクドラゴン、キングコングらを見てもそれは当て嵌まっているように思いますし、2000年代で全盛を誇った数々の賞レース(M-1、KOC、オンバト、レッドカーペット、等々)を制した実力派の多くがこの世代でもある事から、「芸人とは個性だ、キャラクターだ」という時代の考えが体現されているように思います。
さらば青春の光(2008年結成、第6世代)
そして更にターゲットが絞られ、「狭く、深く」へと進化しているのが、さらば青春の光に代表される次の世代です。ジャングルポケットの「小さな疑い」なども同系と言っていいでしょう。
彼らの特徴は、「脚本主体の笑い」だと考えます。
ロバートのコントは演者の実力・キャラクター性に大きく左右されるという話をしましたが、一方でこの世代、とりわけさらば青春の光が作るコントは、おそらく誰がやっても一定以上の面白さが出せるものだと思います。
何故なら、映像でも、キャラクターでもなく、笑いの核が脚本、即ちストーリーにこそあるからです。
「クリーニング店」のネタで言えば、クリーニング店なのにクリーニングをせず新品のシャツを買ってくる、という奇抜な発想がまず素晴らしい。
更には、「それじゃ赤字だろ」で終わらないのが凄いところです。シャツ以外は他のクリーニング店に低価格でやらせる、その利益で店は回っており、シャツの購入代金はそのための先行投資、というところまで踏み込んだ設定。
これに近いビジネスって本当にあるのでは?と言う気さえする、感心してしまう出来です。
そしてこのコントの真骨頂は、その特異な構成からこそ生じる理不尽さによる笑いです。
例えばオチにそれが結実しています。スーツの汚れが落ちてないという東ブクロへのクレームが、そのままクレームを入れる側だったはずの森田に転嫁されてしまい「やり直し」を命じられるという、一編の小説を読んだかのような鮮やかな結末です。
こういった小難しいネタを嫌う人は一定数以上必ずいます。(疲れた頭でテレビを見ていて、更に頭を使うネタなんぞ見たくもない、という気持ちは分からなくはありません。)
そういった点では、前述したバナナマン、ロバートに比べ、ネタは非常に説明的で人を選ぶと言えますし、途中からチャンネルを変えてきた人にとっては面白いかどうか以前に、全く意味が分からないでしょう。
つまり、テレビ的な笑いとは真逆を行く、「真剣にネタを見たい人に絞り、ディープな笑いを届ける」という現代的なスタイルを体現しているのがこのコントだと言えます。
実際、さらば青春の光は自身でYouTubeチャンネルを立ち上げており、既に活動の主体をテレビからインターネットに移していると言えます。
そういった点で、バナナマン、ロバートとは一線を画す、非常に現代的なコントだったと感じました。
松本人志(1982年結成、第3世代)
そして最たる問題作が、松本人志作のこの2本です。
ここまで世代別に特徴を挙げてきましたが、彼については「世代」という言葉では括れません。同世代のウッチャンナンチャン、とんねるずらが同様のコントをしていたかと言えば明確に「NO」ですし、松本人志自身に絞って考えても、30年前から同様のスタイルだったとは言い難いからです。
あくまで、「現在の松本人志のコント」という位置づけで考える必要があるでしょう。
彼の作品の本質は、「本気(リアル)と言う笑い」と言い表せるかと思います。
各作品に共通する特徴として、3点挙げてみたいと思います。
これについては、お笑いの王道と言ってもいいでしょう。ひたすら「おめでとうー!」と繰り返す、延々と管理人とドアを開けろ/開けないの掛け合いを繰り返す。この一向に話が進展しない演者のもどかしさを笑いにするというやり方です。
同番組のコントでは、さまぁ~ずが出演していた「舞台装置」「キャンプ」などでも顕著でした。前述したバナナマン、ロバートのコントも広くはこの手法に当て嵌まると言えます。つまりは、ネタを作る上での基本、とも言えます。
松本人志のコントを見終わった後には、支離滅裂・意味不明という印象が強く残ると思いますが、こういった基本がしっかり押さえられているという点は、考察にあたっては必ず念頭に置いておきたいところです。
基本を押さえていると言っても、それは前半まで。途中からどんどん暴走し、話が壊れていきます。「おめでとう」を言うための謎の装置、謎のゲスト、やがては様々な「おめでとう」をつなぎ合わせた脈絡のないVTR、折り重なった死体。「管理人」においては、別れの曲と共に綴られる先生(誰?)への内容の掴めない手紙のモノローグ、見事な大胸筋の入浴シーン。こうして書いていても全く意味が分かりません。
思うに、これらが何を表現しているのかを論じることはナンセンスなのでしょう。これらの収録にあたってはほぼ台本がなく、その場その場で作っていったというコメントがありましたし、しっかりとストーリーを考えて作られたものではない事が窺えます。
では何のためのシーンだったのかと言えば、私は、「視聴者、更には演者も含めて全員の、展開の予想を裏切る事そのもの」をこそ目指したものだったのではないかと考えます。平たく言えば、誰もに「なんだこれ?」と思わせることこそが目的だったのではないかと。
その理由については次の③に記載します。
台本がなく、演者にさえも事前に知らされていないぶっ飛んだ展開は、視る者全員を「なんだこれ?」状態に陥れます。
そこから生み出されるのは、本気の驚愕の表情、マジのドン引きの有様です。
「おめでとう」において、最大の笑いは、オチとなった飯塚の引いた表情にこそありました。「管理人」においては、恐怖に戦く小峠を松本が逆に怖れて通報するという理不尽さが、小峠の鬼気迫る形相を引き出していました。何故それらの表情がオチになり得たのかといえば、同じ気持ちを視聴者が共有していたからこそだと思います。
人が真剣に何かをしようとしているとき、或いは固まってしまったとき、絶句してしまった瞬間というのは、端から見ていると何故か非常に滑稽に見えるものです。例えば人前に立ったとき、心の底から絞り出した声や表情がTPOにそぐわなかったときに笑いが生まれてしまった、ということは誰しもが経験のある事ではないでしょうか。近年の松本人志の活動では、「ドキュメンタル」や「フリーズ」といったインターネット番組という閉鎖的な空間で行なわれている企画が、正にそれを目指していると言えます。
つまり、そういった「理屈や理論を越えた、本能的な笑い」を目指しているのが彼なのではないでしょうか。
的を絞ったディープな笑いともまた違う、もはや誰にも理解できない世界観。
但し、演者の本気で必死な動きや表情は世代を超え、人間であれば誰も本能的に笑えるものでもあります。
これまで、バナナマン、ロバート、さらば青春の光と、世代毎に体系的に考えてきたものから外れたところに、松本人志は在ろうとしているのではないか、と言えます。
総評
このように様々なコントをひとまとめに見ることで浮き彫りになったのは、松本人志の笑いは他の芸人を超越したところにある、ということです。古典とも言える構成や舞台感を継承しつつも、第7世代のようなぶっ飛んだニッチさもある。さすがレジェンドだなと。滅茶苦茶面白かったです。
他のコントにおいても、「あの芸人のいつものネタ」ではなく、それぞれの良いところがミックスされた新しい作風になっていると感じました。特に東京03が巨大ハンマーでぶっ叩くというテレビ的な演出を試みたのは、普段の彼らには余り見られない直球ストレートなアプローチで、逆に新鮮で非常に良かったです。
ただ、これまで書いてきたように笑いの方向性がそれぞれ別なので、全部が全部面白かったという人はかなり少ないだろうなと。全体的に見たら「面白くなかった」という声は少なからずあるのではないかと思います。
また、今年のキングオブコントのハードルを無駄に上げてしまったのでは?という懸念も残りました。
松本人志自ら、賞レースと方向性が真逆のコントを見せつけると言う事が、今年の大会にプラスになるのかマイナスになるのか、正直想像がつきません。
本命と注目されるマヂカルラブリー、霜降り明星、空気階段らは、いずれも従来の「分かりやすい笑い」ではなく、ひねた発想から生み出す独特の世界観こそが評価されている芸人です。
このキングオブコントの会の松本人志が作った流れに上手く乗ってくるのか?或いは更に新しい笑いの体現者になるのか?期待は止みません。
が、期待しすぎてがっかり・・・という可能性は大いにあるため、余り考えすぎず、フラットな気持ちで見た方が結果楽しめるかもしれませんね。
終わりに
ということで、キングオブコントの会の考察というか感想でした。
秋の決勝戦が本当に楽しみです!
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