小説「屍人荘の殺人」を読みました。
ミステリとしては異端と言ってもいい、かなり特異な作風でしたが、さすが「このミス」を獲るだけあり、非ッ常に面白かったです。
あまりに面白かったので、漫画や映画も見てみました。改めて、各種メディアによって作品の姿は全く異なるものなのだなと痛感したものです。
原作の面白さと共に、漫画化・映画化されどうなったのかについて、書き留めたいと思います。
なお、以下は極力、直接的なネタバレ描写は避けていますが、
映画版だけはどうしても我慢できなかったため、作品の根幹に関わるネタバレを含んでしまいますので、ご注意ください。
ネタバレが嫌な方の為に結論だけ言っておきますと、下記のようになります。
あらすじ
補足としては、当作品はミステリでありながら、ゾンビという超常現象が普通に存在する世界観です。(いや、普通でもないのですが)
端的に言うならば、ゲーム「バイオハザード」中で殺人が起こる、みたいな状況設定と言えば分かりやすいでしょうか。
真っ新な状態から読むのが一番驚きがあるのでしょうが、本格ミステリを楽しむためには、これは知っておいた方が良いように思います。↓詳細は後述。
作品共通
まずは肩書きから紹介しましょう。
当作品は、デビュー作にして賞総なめという偉業を成し遂げた成功作品と言えます。
・「2018 本格ミステリ・ベスト10」1位
・「第27回鮎川哲也賞」受賞
超常ありきではありますが、内容はあくまで本格ミステリ。
クローズド・サークル、二重密室といった、ミステリ好き垂涎の伝統的シチュエーションがしっかりと活かされています。
未読の方であれば、是非騙されたと思って、ちゃんと推理して犯人当てに挑む事をお薦めしたいです。
ただし、難易度は激高です。
といった点から、推理によって真実に辿り着くことはおろか、普通はまともに推理することも難しいでしょう。それくらいに凶悪な設定です。こんな設定の作品が本格ミステリとは誰も思いませんて。
だからこそ、未読の方には「頑張って推理した方がいいよ!」と伝えたくなるわけです。
「本格ミステリ」「コミカライズ済み作品」などの点から、どうしても綾辻行人の十角館の殺人と比べてしまいたくなりますが、基本的には全く別ベクトルの作品と思った方が良いでしょう。
ネットでは同様の比較をして十角館に軍配を上げる意見も多く見かけますが、そもそもにおいて発表された時代が違うという点は、もっと重視されるべき点だと思います。
というのも、当時は斬新だったトリックや設定が現代では平凡、ということは間違いなくハンデとして存在しますし、世間に好まれる文体も全く違います。極論、当時はラノベが流行るなんてことあり得なったように、現代では軽い文体のニーズが高まっている、といったこともあります。それらを全無視して「文体が軽い」と論じるのはフェアではありません。(まぁ後で自分で同じことを言ってしまってるのですが)
そういった、時代間の相違点が幾つも存在するのです。それらを考慮し、単純にロジックの優劣や現代の感覚で驚きを得られるかという観点で見た時、決して名だたる本格ミステリに劣らないクオリティを持っていると思います。
また、屍人荘の作中では「本格ミステリ」評が出てきます。
私はそれについて、古典へのリスペクトの意味もあると同時に、「それらと同じ事はしない、寧ろ、もう一歩ミステリをエンタテイメントとして前に進めてやるぜ」という、挑戦的な気概を感じました。
こういった点から、本作は是非、「本格ミステリ」として挑んでいただきたいと思うのです。
それは、自分がそうすればよかった・・・という後悔の念でもあります。
何故超常たるゾンビが発生したかの謎は、本作では言及されません。次作以降に持ち越しということでしょう。
正直、「そこが一番気になったよ!ちゃんと完結させてくれよ!」という気持ちも多少ありますが、作者としてはあくまで、幾つもの事件を束ねる壮大な「ミステリ」を目指す、ということなのでしょう。
[原作小説]の長所・短所
原作小説は、2017年に今村昌弘が世に送り出した本格ミステリです。
2021年8月時点で既に、シリーズ累計発行部数は100万部を突破しているそうです。
結論から言いますと、原作小説は全ての手本的な存在です。(当然と言えば当然ですが)
ので、最初に鑑賞するのは圧倒的にこちらがお勧めです。
小説版の長所
→漫画版・映画版を見るとよく分かりますが、緊迫した状況にも関わらず、行動だけを追っていくと登場人物達はかなり悠長なことをしています。
それらは、極限の精神状態で行っているものと思えば納得はでき、作品に問題があるというわけではないのですが、下手に視覚化されるとどうしても違和感を感じてしまうところではあります。こんな時に何モタモタやっとんねん、的な。
活字と言う媒体は、そういった矛盾を自己の想像で補うことのできる、優秀なツールなのだなと思い知らされます。そういった意味で、緊張感・切迫感を絶やしたくない方は、小説版こそが至高になるでしょう。
→昨今のエンタメでは、悪役を如何に魅力的に描くか、と言う点はかなり重視される傾向にあると思います。
本作においては、真犯人や探偵役に深いバックボーンがあり魅力的であるのは勿論、被害者らにも、巻き込まれただけの人らにおいても、複雑な人間心理を抱えている姿が描かれます。
人間には色々な顔があって、一つの行いの結果だけを見て一概に善悪を決められるものではないのではないか、というテーマを感じました。そしてそれが、ラストシーンの壮絶さに悲喜こもごもとした彩りを与えています。まさに文学作品、といったところでしょうか。
小説版は、あくまで映像化の「お手本」であるという威風が感じられます。物語の深淵も、その上に立つキャラクタ達も、全ては小説版で描かれ切っており、その表層を画角化したのが後続作品、と言っても過言ではないように思います。
小説版の短所
→小説版の最大の弱点として、登場人物が非常に多く、誰がどこで何してるのか、何処で何があったのか、非常に分かりづらいという点が挙げられます。「読みやすい」と「分かり易い」は似て非なるものなのだなと感じました。
また、トリックにおいて館のレイアウトが重要になるのですが、文章を読み進める度にわざわざ図面を追う必要があるのは面倒だと言わざるを得ません。(図面を頭に入れられる人とかいるんでしょうか?)特に電子書籍はページを気軽に戻れず、結構イライラするのでは。
活字の宿命ではありますが、それらは圧倒的ディスアドバンテージだと言わざるを得ないでしょう。
→これについては人それぞれの好みの問題が大きいとは思います。
ミステリが主であるので、文章にフォーカスして批判するのは違うなと思いますし、そもそもデビュー作ですし、文体を批判するのは本質的ではないかなとは思います。
ただ、そう言いたくなる気持ちはどうしてもあります。ラノベのように軽い文体は、不気味な館や連続殺人といったおどろおどろしい雰囲気のそれとはどうにもミスマッチな感があり、「ホラー小説的な文章と両立させてたら、更に凄い作品になってたかもなぁ」と惜しむ気持ちといいますか。
作品の完成度が高く、肯定的な見方が主としてされるが故の、贅沢な意見の結実、と言えるのかもしれません。
→読んでいけば分かることなのでネタバレとは思いませんが、途中、中立公平であるはずの人物の偏った視点が描写されます。
当然、犯人特定の非常に重大な要素となるのですが、その背景にある「理由」がかなり無理矢理感がありました。というのも、それより前の部分に前振りとしての描写もほとんどなく、読み進めていったときに唐突に出てきたような印象があったのです。
原作において、最も(ほぼ唯一)フェアじゃない、いただいけないなーと思った点です。
映画版においてはこのあたりがバッサリとカットされているのは、まぁ正しい選択だったのだろうなと思います。
[漫画版]の長所・短所
「漫画版」とは、少年ジャンプ+で連載された、ミヨカワ将によるコミカライズ作品を指します。全4巻。
漫画版は、原作ファンから見てもかなり好感度の高い出来でした。
というのも、基本的にはカットされたエピソードもなく、非常に原作に忠実でありながら、漫画ならではの良さをしっかりと出してきていたためです。
漫画版の長所
→やはり、絵がついているという点は押しも押されぬアドバンテージでした。
例えば、明智・葉村・剣崎の出会いに関するエピソードは、時系列が整理されてより分かり易くなっていました。こういった工夫が随所に見られるところがまず素晴らしい。
また、ドアの密室トリックを解説するシーンなどは、絵がある方が圧倒的に分かり易く、テンポも良いです。このあたりは完全に原作を超えていると言えるでしょう。
→具体的には、原作では一行しかない犯人特定に至る重大要素を、何度かさりげなく描写してくれていたり、原作を知る立場としては思わずニヤリとしてしまう、重要なポイントがしっかりと、但しさり気なく描写されていました。これならば、謎が解き明かされた際に振り返っても、しっかりとヒントが提示されていたと、充分納得できるでしょう。
特に、第二の殺人の犯人特定に至る廊下の核心的なシーンは、漫画ならではのお見事な描写、喝采ものでした。
→表情の機微や動作を、原作の文章に頼らず、あくまで絵で魅せるという、漫画の冥利に対して妥協のない、漫画家のプライドを感じさせる、非常に意欲的な作品だったと思います。
ラストシーンにおける犯人の行動と明智さんとの決別方法においては、原作からの大きな改変がありました。原作の心に爪痕を残すような壮絶さは敢えて控え、爽やかなエンディングに持って行ったなと言いますか。
おそらく、原作小説は続編ありきのストーリーであるのに対し、コミカライズにおいてはそれを保証できないため、極力すっきりとした読後感を残せるような幕引きを選んだのではないかと思います。
よって、どちらが良いというよりは、「こういう終わり方もいいね」という気持ちで受け止めています。
これだけの出来なら、続編も是非コミカライズしていただきたいですけどね。
漫画版の短所
→漫画版のオリジナリティという点で、否定される筋合いのないこととは思いますが、正直これは余計では?と思わざるを得ない改変がいくらか見られました。
例えば、大学生活における明智さんが手がけた事件の追加とか、果たして必要だったのでしょうかね?(別作品のエピソードを拾っていたりするのでしょうか?)
クオリティが本編と釣り合っておらず、なくてよかったのではないかと思う要素でした。
→最大の疑問点。読者に希望を持たせるミスリードを狙ったのでしょうか?
個人的には、物語を俯瞰すべきモノローグに偏った要素を入れるべきではなかったような気がします。
→これはもうコミカライズの宿命と言うか、どうしようもないというか、個人の趣味に依るとしか言えないのですが・・・
個人的にはもっと劇画調をイメージしていたため、少年漫画らしい可愛げのある絵柄は正直マッチしているとは言い難かったかなと・・・(原作の軽い文体に近しいという点では、ぴったりだったのかもしれませんが)
また、同時期に漫画化した「十角館の殺人」の圧倒的シリアス絵の画力と比べられてしまうのも不運だったかなと。
[映画版]の長所・短所
「映画版」とは、2019年に劇場公開された実写化映画を指します。
端的に言いますと、作者は名誉毀損で訴えていいと思います。
尺の制約、予算、キャスティング、視聴層の絞り込み、エテセトラエテセトラ、実写化が非常に難しい事は想像に難くないことではありますが、それを前提にしたうえでもどう考えても、やっぱり邦画の原作付きって糞だわと思わざるを得ない、ド三流の糞駄作でした。
批判にあたってはどうしても具体的な指摘が必要なため、以下ネタバレを含んでしまいますのでご注意ください。
映画版の長所
→これは小説にも漫画にもない、音楽のつけられる映像ならではのシーンでした。唯一原作を上回った瞬間でしたね。
→これも、賛否はあるでしょうが、良い改変だったと思います。「ほとんど犯人が特定されるじゃねーか」という批判もありそうですが、普通は知らずに見ていたら気づけないレベルではないかなと。
代わりにサスペンス的な緊迫感が演出できたと思えば、全然アリかなと思いましたね。
→前述したとおり、私はこの要素に正直納得がいかなかったので、バッサリとカットされたのは寧ろ良い演出だと思いました。
まぁ、そういう意図があったわけではなく、もっと根元にある重要なトリックを放棄したことによるたまたまの副産物でしかないのだとは思いますが・・・
→(主演の剣崎役に限って、更に衣装については言及しないという条件付きで、)配役のヴィジュアルはイメージ通り、素晴らしい実写化でした。
まぁ、お陰で無駄に予告版に対する期待値が上がってしまっただろうなと思うと、寧ろ罪深い要素だったのかもしれませんが・・・
映画版の短所
→せっかく映像化されるなら、どこにテコが働いているのかなど、CGで解説してくれでもするものと思っていましたが、高望みだったのでしょうか。結果、針金と紐がドアの隙間から差し込まれたくらいしか分からず、映像化のメリットを活かせていないと言わざるを得ませんでした。
(防犯上、詳細を映像化できないなどの制約があったのなら仕方ないところですが。そうであったと信じたい。)
→一体誰をターゲットにしたら、このような無駄なキャラ付けが必要だったのかと甚だ疑問です。
葉村の「かわいー」という心の声がが逐一ウザい。原作の、暗い過去を負ったニヒルなキャラクター性を否定する行為であり、作品の品位を貶めていると言わざるを得ません。
他にも、「迷宮太郎」だとか、剣崎の謎解きポーズが相撲とか、馬鹿にしてんのかと。
→ポジティブな言い方をすれば、映像作品における音楽の重要性を痛感しました。
・ゾンビが襲ってきているにも関わらず、緊張感やおどろおどろしさの全くない、無機質にビートを刻むだけのBGM。
・全く印象に残らない機械音の連発
・立浪のかけるラジカセの音楽も全くイメージと違う(ゾンビに襲われているのに、場が暗くならないようにデスメタルをかける奴なんかいるかよ)
・ロックフェスなのに、フォークを思わせる程度の緩い音圧(これだったら悲鳴とか搔き消されないでしょ、全然聞こえるでしょうよ)。
欠点を挙げればきりがありませんが、間違いないのは、結果、作品全体の空気の軽さを演出することになったことです。当作品を糞映画たらしめたA級戦犯だと言わざるを得ません。
特に、エンディング曲に異様に明るいテクノ(Perfumeの『再生』)が選曲されたのは、よほどのバカが自分の趣味に走ったか、或いはレコード会社の強力な圧力を疑わざるを得ません。是非「リング」や「呪怨」のような、怪しくも壮大な曲で締めてほしかったものです。
→開幕直後からの緩い空気は、これから始まる惨劇とのギャップの演出なのかと理解できました。しかし、どう考えても引きずりすぎ。ゾンビが発生した直後も、人が次々と死んでいく最中も、シリアスな回想の前後であろうが、ずーっとへらへらとした空気が続きます。
あまりの緊張感のなさに、「こいつら全員犯人なのでは?でなきゃこんな冷静じゃいられないだろ」と思ってしまうほど。
全編にわたってスリリングな本格ミステリ作品の映像化にあたり、何故本編にないギャグ要素を所狭しと散りばめようと思ったのか?それとも、こういう緩い感じにすれば若者にバカ受け!とでも思ったのでしょうか?正直、全く理解に苦しむ演出でした。
だがしかし、これでも、これまで述べてきたことはまだ、演出家が無能だったり、大人の事情でやむを得なかったと言われれば納得のできることではありました。
以下に書く点は、原作の冒涜という言葉でしか言い表せません。映画スタッフは、そもそも原作を読んでいないか、全く理解できなかったかの何れかでなければ、この酷さに説明がつきません。
→原作の細やかな描写やこだわり、トリックの妙や伏線を、全てぶん投げた改悪シーンの数々。もはや、これは酷いという言葉しかありません。
→更に小説ファンにとって許せない点が、映像化にあたっての文学的要素の無さです。
・犯人が犯行を決意する重要なシーンを平たくカット。他に切るべきところ(無駄に追加されたギャグシーンとか)が山ほどあるのに。
・静原が「犯人を知りたい」と切り出す、責任感の滲むシーンが改変され、「ただ生き延びたい」とか言っちゃってる。矜持というものがまるで感じられない。
・立浪の葛藤や進藤の愛情表現が全カット。唯々死んで当然の嫌な奴らに。「人間は一面だけでは測れない」という複雑な作品テーマを全捨て。
いくらamazon Prime Videoでただで観れるといっても、2時間を無駄にしたうえストレスまで抱えることになるので、全く割に合いません。
終わりに
というわけで、「屍人荘の殺人」にハマってみての感想でした。
映画版の酷さにヒートアップし、思わずそれが大半を占める形になってしまいました。
けれど、その前提として、小説版は超面白い!コミカライズもナイスな出来!という点があることを努々忘れないでいただきたい。
続編の「兇人邸の殺人」への期待も非常に高まりました。こちらも近々読んでみたいなと思います。
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