「ひぐらしのなく頃に業」を見終わりました。
既存アニメは勿論、ゲーム、コミカライズも一通り観ているファンなのですが、それらのクオリティや驚き・意外性を踏まえても、今回の新作アニメはアイディアに溢れた凄い作品だなと感じました。
次回作「ひぐらしのなく頃に卒」への期待を胸に、このワクワク感を忘れないよう、書き留めたいと思います。
なお以下には、観賞済みであることを前提に、作品の根幹に関わるネタバレが含まれますのでご注意ください。
①神算鬼謀、24話の構成がすごい!
何より素晴らしかったのは、24話を上手く使った展開の構成、それにより視聴者に与える驚きのコントロールです。
まずは最序盤。
1~4話は「鬼騙し編」として、従来の「鬼隠し編」をそのまま踏襲したかのような展開が続きます。
特に1話目はほぼそのまま、「これは新作ではなく、リメイク?」と思った方も多いと思います。
しかしそう思わせることが、完全新作であることを華々しく演出する狡猾なミスリードでした。
5~8話の「綿騙し編」では、徐々にオリジナル版との「違い」を醸し出し始めます。
皮切りは、魅音に人形を渡したことでした。オリジナル版「綿流し編」では、惨劇の直接の引き金となった印象的なエピソードである故に、熱心なファンほど「あれ?」と思ったはずです。
9~13話の「祟騙し編」でその違和感はピークを迎えます。
随所で「祟殺し編」を飛び越え、既に「皆殺し編」に至っているような展開。沙都子が保護され解決、と思いきや、殺害したはずの鉄平に襲われる圭一が雛見沢症候群を発症。最終的には、圭一とレナだけが生き残る、未だ見ぬバッドエンドへ。
組織の手口では説明できない展開に、狂気は極まれり。レナと同様、「こんなの、意味がわかんないよ!」と叫びたくもなりましょう。
ここまでが、「問題編」と言って差し支えありません。
そして、満を持して完全新作であることを高らかに謳った、14~17話の「猫騙し編」。
これは「解決編」ではなく、「問題編での視聴者の推理を叩き壊す場」と言えるのではないでしょうか。
全ての真相を知っているはずなのに、異常なペースで不条理に殺害され続ける梨花。しかも何があっても梨花に味方してくれるはずだった人達に手を下され続け、観ている側も精神的にキツい話が続きます。
終盤では、オリジナル版の真犯人とも言える鷹野やそのバックの組織はどうやら無関係であることが仄めかされます。
「えぇ・・・もう他に登場人物いなくない?」というところまで梨花と視聴者を追い詰めるのです。
そして目明し編である18~24話の「郷壊し編」が、7話を費やし丁寧に展開されるのでした。
このように、
と、半年もの間視聴者を飽きさせず、興味を保たせ続け、更に未来にまで楽しみにさせるという、実に模範的なドラマティック展開だったと言えるでしょう。
最初から最後まで、計算され尽くし創意工夫が凝らされた、実にすごい作品でした。
②正解率何%?、真犯人の意外性がすごい!
というわけで真犯人は、魔女の力を得た沙都子だったことが明かされます。
主人公側の人物が犯人、という展開は決して珍しくありません。そもそも「ひぐらし」自体が、主人公が発症者であり犯人だった、という話からスタートしているわけで、結果だけ見れば王道・お馴染みの展開だとも言えそうに思えてしまいます。
しかし私にとっては全く意外な、予想していなかった犯人でした。(私の予想は「羽生が雛見沢症候群を発症した」というものでしたが、掠りもせず。苦笑)
その理由としては、下記の2点に尽きるのではないでしょうか。
思えば「ひぐらし」という作品は、「祟殺し編」「皆殺し編」に顕著にみられる様に、沙都子を如何にして救うか、という事がテーマの一つである作品でした。
幾千ものカケラの中には、沙都子を救えなかったためにゲームオーバーになってしまったものもあったはずです。
その大前提を壊して、沙都子が仲間を執拗に殺しにかかるなど、どうして予想できたでしょうか。(必ずしも雛見沢症候群を発症している様子でもありませんでしたし)
そんな心理的盲点を的確に突いたことが、この作品の根幹を成す秀逸なアイディアだったと思います。
果たして、視聴者の正解率が1%に達したのは、どの時点だったのでしょうか。
私は、「猫騙し編」が終わるその瞬間まで全くわかりませんでした。最後「えぇっ!?」と声が出たくらいです。全くの推理雑魚です。
「ひぐらし」の続編に相応しい極悪な難易度、されどこれ以上ないくらい痛快に裏をかいてくれる、極上の目明しだったと思います。
③悲しすぎる現実味・・・動機がヤバい
「郷壊し編」を見ていて、それまでの惨劇映像以上に、「なんちゅう話を見せられとるんだ・・・」と思わずにはいられませんでした。
その理由はただ一つ、「動機が現実的すぎる」ということに尽きます。
普通に考えて、幾度となく繰り返された惨劇の悲惨さと、「勉強したくない」「梨花がかまってくれない」という動機は、釣り合いがとれてなさすぎです。
何より、オリジナル版で梨花があれだけの惨劇を乗り越えてせっかく手にした平和なのに・・・と思うと、更に遣る瀬無い思いに捕らわれてしまいます。
「寄生虫」「オヤシロ様」など、あくまでファンタジーの世界観を貫いてきた本作だからこそ、その惨劇と動機の身近さとのギャップが際立っているように思います。
ある意味、グロテスクに人が死ぬ描写よりもよほどメンタルに来るストーリーでした。
結局、「何回でも人生をやり直せたとしても、何を以て人生をよしとするのかは判断できない」という暗喩なのでしょうか。
或いは、「チートで手に入れた幸せは、チートで奪われる」という、エンタメを否定する教訓?
いずれにせよ、妙に現実的な動機が心をざわつかせる、エグい脚本だなと思いました。その分、作品のインパクトは抜群だったと思います。
④広がる世界観、「うみねこ」とのリンクがすごい!
さて本作のもう一つのお楽しみ要素として、「うみねこのなく頃に」との世界観のリンクが挙げられます。
具体的なものの1つには勿論、アウローラの降臨があります。
これにより、「うみねこ」で語られた魔女の力の設定がすんなりと頭に入ってきました。(逆に言うと、「うみねこ」を知らない人にとっては唐突な印象だったのだろうなというのは理解できます)
また個人的に思うところでは、「うみねこ」のベルンカステルとラムダデルタの関係性が持ち込まれているように思えました。
これまでは、ラムダデルタ(「λδ」=「34」)=鷹野三四?、と当たり前のように受け止めていましたが、梨花と三四の化身的な存在がじゃれ合っていることに、正直若干の違和感もあったのです。
しかし、今回の梨花と沙都子との関係性は、お互いがお互いを認め合っている点など、ベルンとラムダの関係性が実にしっくりと来ます。
沙都子(「三十五」)=ラムダデルタ(「34」)だった??いや、数字合ってないですけど・・・今後、この「1の違い」がぴったりと嵌るピースが出てくるかもしれませんし、出てこないかもしれませんね(推理力の低さに定評のある者の推理)。そんな新しい展開を想像してみたりという、思ってもなかった楽しみ方もできました。
このように、私は「うみねこ」の設定を持ち込んだことには大いに肯定的です。他の作品と繋がる事で、世界観がより大きくなったと感じています。
そもそも、私は「うみねこ」も大好きなので、この機に補足しておきますと・・・
こちらの作品が世間の不評を買った原因は、ラストまでプレイしても真相がはっきりと語られなかったためとおもいます。
そんな、真相を知りすっきりできていない方には、2014年にコミックス版「うみねこのなく頃に散 Episode8 – Twilight of the golden witch」の6巻「Confession of the golden witch」で、真実のほとんどが語られるエピソードが追加されていますので、大変お薦めです。
終わりに
というわけで、「ひぐらしのなく頃に業」が大変面白かったよ!、という感想文でした。
滔々と語った後になんですが、原作者インタビューを観る方が作品の理解には間違いがないので、リンクを貼っておきます。↓
2021年7月公開予定の次回作では、「~騙し編」での真相が明かされ、正真正銘の完結を迎えるようで、正直滅茶苦茶期待しています。
ドイツワインでも飲みながら、その時を待っていようと思います。
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